イスラエルのハイファの病院で男の子がふたり誕生した。
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シアターキノ B館にて。
テルアビブに暮らすフランス系ユダヤ人のヨセフは、
兵役のための健康診断で両親と血液型が合わず、
DNA検査の結果、シルバーグ夫妻の実子ではないことがわかる。
ヨセフは湾岸戦争の初期、ミサイルを避けて避難した際の病院のミスで、
パレスチナ人・サイードとライラのアル・ベザズ夫妻の子・ヤシンと
取り違えられていたのだった。
ヨセフの母・オリットとライラは互いを労わり慰めあうが、
イスラエルの占領政策で村の外で働けない技術者のサイードは、
全て忘れ(取り違いなど)無かったことにすると主張し、
ヨセフの父で現役のイスラエル国防軍大佐のアロンは困惑を隠さない。
両家とも取り違えの事実を子どもたちに伝えずにいたが、
兵役の召集の取り消しの通知が届いたヨセフが、
ついでパリでバカロレアに合格し、帰国したヤシンが、
それぞれの両親から事実を知らされる。
ヨセフは兵役に向かう友人たちに取り違えを打ち明けられず、
泣きじゃくるばかりだったヤシンは、
兄・ヒラルが自分への態度を一変させたことにショックを受ける。
イスラエルとパレスチナでの赤ちゃんの取り違えがテーマと聞き、
最初に思ったのは民族が違うのに誰も気が付かないの?ということ。
その疑問を映画を観る前に解こうと調べていたところ、
何のことは無い、公式サイトに答えがありました。
引用しますと、
ユダヤ人もアラブ人も人種ではなく、
言語、文化、宗教などによるので、外見からは見分けることはできない。
日本では、東欧のユダヤ人のイメージが強いが、
エチオピアやアルジェリアにもユダヤ人がいるので、
肌・髪・目の色なども様々である。
ユダヤ人の定義については映画の中でラビが語っているが、
イスラエルが国民を増やす目的で定めた帰還法などによって、
その定義が変わった事があり、
「誰がユダヤ人か」というテーマは複雑である。
ユダヤ人とは・・・という定義は劇中でも出てきましたが、
神は人を愛すると言いながらのラビの言葉は
なんだか無茶苦茶な理屈にしか思えず。
ユダヤ人として育ちユダヤ教を信奉してきたヨセフの18年は
根底からひっくり返ってしまう。
ラビに咎めるような視線を向けられたヨセフは
祖母の葬儀にさえ出られない。
兵役を誇りに思うと言う友人たちに、
自分がアラブ人だと打ち明けられるはずもない。
ヤシンが自分に敵意をむき出しにする兄のヒラルに傷つく一方で、
占領地の警備にあたる兵士たちは既にヤシンが何者かを知っている。
家族、友人、社会・・・拠りどころを無くしたヨセフとヤシン。
居場所を失くしたふたりが親しくなっていく中で、
ヨセフは偶然とは言え、母がヤシンの手を取っているのを見てしまう。
ユダヤ人の自分が踏み入れることがないはずの占領地に、
どれだけの勇気が振り絞って出かけたのでしょう。
あの歌をどんな思いで覚え、歌ったのでしょう。
歌詞の意味も判らないままに涙が出ました。
握手し、互いの言葉で挨拶したアロンとヒラル。
無駄な台詞・・・特に説明台詞が少ないためか、
俳優たちの表情と仕草からその感情が、心の内が伝わってくる。
母の、父の、何より本人たちの・・・。
そこに見えるのは微かな希望であって決して明るい未来ではない。
ヒラルの通行証を申請したアロンが、
部下から下衆な笑いを向けられたように。
・・・紛争地帯のこれも現実。
「父さんと母さんには僕は他人のはずだった。」
「アイデンティティーには育った環境も大事だよ。」
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ユダヤ人はそもそも人種ではないので、定義はかなり曖昧なんですよね。
大戦中も改宗した人はホロコーストを逃れていたり。
人間をカテゴリ分けする事なんて無意味だと思いますが、それがまたアイデンティティになっていたりするから難しいところです。
実際にこういうことがあるからこその映画で、こんな状況に置かれたら一体どうしていいのかわからなくなりそう。
民族としてのアイデンティティに家族愛は勝るのだろうかと。
映画ではそこはあまり触れてはいなかったんですが、血縁関係というのはやはり濃いですから、映画のようになれれば理想的なんですけどね。
滅多に起きない不幸な出来事を通じて、青年の自立と自律が見事に描かれた作品だと思います。
母の気持ちになると別の意味で切ないですねぇ…。
いつもお世話になっております。
>ユダヤ人はそもそも人種ではないので、
ますそのことを知らなかったもので公式サイトを読んだ時には
呆気に取られました。
そしてホロコーストは一体なんだったのかしら・・・とも。
仏教、神教、儒教にキリスト教と宗教に大らか(大雑把)な日本人には
宗教間の対立の構図はどうもピンとこないですね。
「そして父になる」の時も思ったのですが、
当人はもちろん、親の立場なら、家族の立場なら・・・と
考えてしまいますね。
>民族としてのアイデンティティに家族愛は勝るのだろうかと。
その積み重ねで争いごとが無くなっていけば、
このような悲劇も少なくなるのではないでしょうか。
こちらこそいつもお世話になっております。
>青年の自立と自律が見事に描かれた作品だと思います。
町を下ろす時のヨセフとヤシンの横顔。
壁を挟んでの豊かさと貧しさ。
このあたりのバランスも良い感じだったと思います。